商品コード:1429-046[VSM] A.B.ミケランジェリ(pf)/ ハイドン:Pf協奏曲11番Hob.XVlll:11, Pf協奏曲4番Hob.XVlll:4
商品コード: 1429-046
商品詳細:録音嫌いのミケランジェリは、1971年頃からDGG社と専属契約を結び、多くの録音を'81年頃まで続けた。その為、他レーベルには録音しない?? しかし何故か1975年、この録音をEMIに行っている。録音場所はスイス。DGG社のスター・ピアニストとして、一人占めされるのをVSM側が打開しようとしたのだろうか?いずれにしても、VSMには同年、シューマンの1枚と合計2枚のみで終わった。DGGとは少し異なる明るいイタリア的なピアノを聴かせてくれる。彼の貴重な一枚。カラー切手がフランス初出。これはミケランジェリによる1957年の有名なラヴェルとラフマニノフの協奏曲を録音して以来17年ぶりのEMI系正規スタジオ録音となった。1970年代半ばにシューマンやハイドンの諸作品とともにまとまったセッションを行った際の一環として、このハイドンのピアノ協奏曲第4番および第11番が録音された。ミケランジェリは1971年からDGGで積極的に録音を開始したがDGG録音の大半がソロ録音であった。ハイドンが作曲したチェンバロまたはピアノのために書いた協奏曲は多いが実際にピアノで演奏される曲の大半がこの2曲である。時折第3番が録音されることもあるが多くはない。ミケランジェリがなぜ急にEMI系正規スタジオ録音を行うことになったのだろう?それには、DGG移籍後に残っていたEMIとの契約問題を解決する為の「契約履行」という性格が強かったようである。実はミケランジェリはDGG以前の1971年EMIと録音契約を結ぶが、計画は完成しなかった。1971年以降ミケランジェリはDGGで録音。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第4番などを録音。1975年EMIとの契約問題が解決し、ハイドン協奏曲とシューマン(謝肉祭Op.9+子供のためのアルバム~抜粋)の録音を実施。この経緯は、1975年2月15日付の英国音楽業界紙 Music Week が明確に報じた。見出しは「“Michelangeli back with EMI label after 17 years"」--「ミケランジェリが17年ぶりにEMIへ戻る」というニュースだった。ただし同紙によれば、1971年にEMIと契約したものの、録音計画は完成せず、ミケランジェリが似たプログラムをDGGで録音した為、長い法的問題になっていたとのことである。EMIの元プロデューサーのピーター・アンドリーの回想がある。EMIのプロデューサー、ピーター・アンドリーは、ミケランジェリとその法律顧問ジュゼッペ・アットリコと、ルガーノのホテルで交渉した。ミケランジェリ側が希望したのが、なんとハイドンのピアノ協奏曲の録音であった。EMIとの交渉が成立した数週間後、プロデューサーのアンドリーがニューヨーク出張からロンドンへ戻ると、ミケランジェリが米国のCBSと契約したという知らせを受けたそうである。その契約には、指揮者ピエール・ブーレーズとの録音計画が関係していたとされている。ミケランジェリはスイスに不法滞在している状態にあり、CBSとの新しい契約を破棄しなければ、スイスから追放される可能性があると警告した、とアンドリーは回想している。この結果、ミケランジェリはEMIとの契約を守り、1975年にハイドン協奏曲とシューマンの録音を行うことになった、というのがアンドリーの説明である。ミケランジェリが過去の契約問題を解決し、録音義務を果たす為にEMIに2枚の録音を行い、問題を解消した。それ以上EMIに録音しなかったのは既に1971年~録音を始めていたDGGで録音を続けたかったと見るのが自然である。DGGは居心地が良かったのだろう。さてこれが1957年~17年ぶりにEMI録音が行われた真相であると思われる。同時代のEMIはDGGより音質が良いので2枚で終了は寂しい。例によって自由に引き崩すミケランジェリ節が聴きたいファンではあるが、意外なほど真っ当で真面目な演奏に面食らう。しかしピアニストとしての上手さはさすが!
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