商品コード:1424-055p[PYE] R.ファーレル(pf) / ブラームス:Pf作品集/ヘンデル変奏曲Op.24, 4つの小品Op.119, ラプソディOp.79-2
商品コード: 1424-055p
商品詳細:リチャード・ファーレル(1926- 1958)はニュージーランド・オークランド出身のピアノ奏者。6歳からフローレンス・フィッツジェラルドに、9歳でゴードン・ショートにピアノを師事する。7歳の時に地元のウェリントン交響楽団と共演を果たしている。12歳でオーストラリアのシドニーに渡り、ニュー・サウス・ウェールズ国立音楽院のアレクサンドル・スヴェルジェンスキーの下で研鑽を積んだ。この間にアルトゥール・ルービンシュタインやアイリーン・ジョイスらの激励を受ける。1944年にニュー・サウス・ウェールズ州のコンクールで優勝し、ABC交響楽団からヤング・パフォーマー賞を贈られた。1945年にユージン・オーマンディに認められてアメリカでの公演の招待を受けるも、第二次世界大戦の影響で渡米を一旦断念する。その後、ウィリアム・カペルと知己の仲になり、1947年にカペルの手引きでアメリカに渡り、ジュリアード音楽院のオルガ・サマロフの薫陶を受け、セルゲイ・クーセヴィツキーに指揮法を学んだ。1948年に一旦ニュージーランドに戻ってリサイタルを開いた後、カーネギー・ホールで演奏会を開き、ルービンシュタインから絶賛された。1950年にはディミトリ・ミトロプーロスの指揮するニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団とグリーグのピアノ協奏曲を演奏した。1951年から活動の本拠をロンドンに移し、プリンセス・メアリー・ルイーズをパトロンにして演奏活動を展開した。1956年にはニュージーランドへの里帰り公演も実現させ、ブレントン・ラングバイン、エドゥアルト・メルクス、オトマール・ボルヴィツキーらとピアノ四重奏団を結成するなど室内楽の分野でも活躍した。録音は英PYEにLP5枚とMercuryに1枚の計6枚が確認できた。英PYEにはLPのほかに少なくとも4枚の7"盤が出ている。7"盤の発売はそのレーベルで認められた音楽家にしかオファーされないので、PYEレーベルではそれなりに実績のあったピアニストだったのだろう。前出のミンドゥル・カッツと似たような印象だが、ファーレルはニュージーランド→米国→英国という経路で楽団に登場した点が異なる。米国的なショービジネスの洗礼をどこかで受けたと思われるが、意外にも彼の演奏にショービジネスの悪癖は見られない。どちらかといえば欧州的なスタイルが感じられる。そういう点でルーマニア生まれのミンドゥル・カッツとどこか似た印象を受けた。全体に地味で繊細なスタイルであり、米国的な開放感はファーレルには感じられない。ファーレルの持つパーソナリティなのだろう。だがらこそPYEという英国レーベルに籍を置くことになったのだと思われる。日本では知る人もいないリチャード・ファーレル、ミンドゥル・カッツとともに英国PYEという地味なレーベルで1950年代に活躍したピアニストの足跡を辿る音楽の旅はかなりマニアックなものになるだろう。ファーレルは1958年サセックス州ホートンで自動車事故のために32歳で急逝した。
R.ファーレルの在庫一覧へ














