商品コード:1412-016n[SUPRAPHON] J.カルロフスキ(va) E.ベルナートヴァー(pf)/ バルトーク:Va協奏曲Sz.120, Pf協奏曲3番Sz.119
商品コード: 1412-016n
商品詳細:1962年頃録音されたバルトークの未完成の協奏曲2曲。まずヴィオラ協奏曲は、名ヴィオラ奏者ウィリアム・プリムローズにより依頼されたバルトーク唯一のヴィオラ協奏曲である。しかしバルトークが草稿段階で他界してしまった為、ハンガリー出身の作曲家シェルイ・ティボールにより補筆・完成された。批判は多いものの、現在でも基本的にはこのシェルイによる補筆完成版に準拠した版が基準となっている。この「ヴィオラ協奏曲」はヴィオラ独奏部分はほとんど完成していたものの、オーケストレーションに関しては部分的な指示しか遺されておらず、シェルイの補筆作業は困難を極めた。ようやく初演が行われたのは作曲者の没後約4年を経た1949年12月2日、ミネソタ大学において、ウィリアム・プリムローズのヴィオラ、 アンタル・ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団による。ヴィオラ奏者には必須とも言える重要なレパートリーになっている。録音も多い。SUPRAPHONではこれが最初の録音になる。ヴィオラのヤロスラフ・カルロフスキ(1925-1997)はチェコ・クラトヴィ生まれ。地元でラディスラフ・ヴェルコボルスキーに師事。プラハ音楽院に入学し、ラディスラフ・チェルニーにヴィオラを師事した。また、ヴィート・ネイェドリー陸軍芸術アンサンブルのコンサートマスターも務めた。1951年にはブルノの青少年創造性コンクールで入賞し、翌年にはプラハでも入賞した。彼はプラハ市立四重奏団のメンバーとして7年間(1961~68年)活動したが、ソ連占領軍の到来により、協力関係を解消し、国外へ移住せざるを得なくなった。彼はカナダのブリスベンに短期間住んだ後、カナダのブリティッシュコロンビア州に移り、ビクトリア大学でヴィオラ教師の職を得た。ピアノ協奏曲第3番は1945年に、作曲者の亡命先であるアメリカ合衆国で作曲されたピアノ協奏曲で、自身でほぼ完成させることの出来た最後の作品である。病床で必死にオーケストレーション作業を続けたが、完成まであと僅かというところで亡くなってしまう。ティボール・シェルイの手で補作完成された。初演は1946年2月8日に、バルトークのピアノの弟子で、彼がその腕前を高く評価していたシャーンドル・ジェルジの独奏と、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の共演によって行われた。ディッタ夫人に献呈される予定であった。オーケストラと独奏楽器の対比を重視し、オーケストラにやや控えめな書法を採用している。この曲もSUPRAPHONでは最初の録音と思われる。何方もトップランクの秀演であり、音質も素晴らしいチェコのステレオ・オーディオファイル・プレス!
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