商品コード:1406-050[QUALITON] J.シゲティ(vn) B.バルトーク(pf) / ライブ1940/ベートーヴェン:Vnソナタ9番 Op.47「クロイツェル」, バルトーク, ドビュッシー
商品コード: 1406-050
商品詳細:VANGUARD、PHILIPSからも出ているが、演奏者二人の故国であるハンガリーのレーベルQualitonからも発売されていて音質も良い。有名な'40年ワシントンD.C.でのライブ録音である。音源保有は米国レーベルのVANGUARDと思われる。1940年という古いライブ録音なので元々の音質はさほど良くないが音ははっきり明快に出てきて、古色蒼然たる音ではない。思いの外、太い音で芯もあり、しっかりしている。渡米したばかりのシゲティのツヤのある音色が何とも良い。バルトークのピアノも堂々たる深みを称え、この曲のトップレベルの演奏に違いない(クロイツェル)。単なる歴史的録音ではなく充分鑑賞に足る。作曲家ベーラ・バルトーク( 1881 - 1945)はハンガリー王国のバーンシャーグ地方のナジセントミクローシュ生まれ。1907年、26歳でブダペスト音楽院ピアノ科教授となる。演奏家として1929年から30年にはアメリカやソヴィエトへの演奏旅行を行い、ヨーゼフ・シゲティやパブロ・カザルスらと共演している。1940年春にアメリカ合衆国への演奏旅行の際、友人達にアメリカへ移住の可能性を打診、彼らの協力でコロンビア大学の客員研究員として南スラブの民俗音楽の研究に取り組む手はずを整えると一旦ブダペストに戻り、10月8日にブダペストのリスト音楽院の大ホールでお別れの演奏会を開き、ハンガリー国鉄の技術者になっていた長男、そしてコダーイに後を託し、ザッハーやかつての恋人・ゲイエルなど友人達の助力を受け、妻と膨大な研究資料や自作資料と共にアメリカ合衆国へ移住した。本人はユダヤ人ではないがディッタ夫人はユダヤ系の血を引いていたことも理由であるが、それより母国の政治的な悪化が最大の理由らしい。 ポルトガルのリスボン経由の船で10月30日、ニューヨーク着。11月3日、ニューヨークのタウンホールで演奏会。衣装は紛失したトランクに入っていたので借り物で凌ぐ。妻とピアノデュオで演奏旅行を開始した。12月8日、フォレストヒルズの新築アパートに落ち着いた。1941年3月~コロンビア大学での勤務を開始する。以降ニューヨークで「管弦楽のための協奏曲」、「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」などの名作を作曲した。 バルトークは既に反ナチ声明を出し、ドイツでは作品出版拒否を宣告されていた。この録音は移住を決意した矢先に行った演奏会でのライブ録音である。ヴァイオリニストのヨーゼフ・シゲティ は早くからアメリカを拠点にしており、同郷の友人であるバルトークをアメリカへ招く手筈の一環として演奏機会を確保する為の演奏会と思われる。シゲティの尽力で実現した演奏会らしい。このライブはバルトークがニューヨークでの新生活を始める為の起点となった歴史的な演奏会であり、多くの支援者から支えられて音楽活動を継続した記録の一つとなっている。全4曲が入る2枚組は米VABGARDとハンガリーQUALITONだけである。
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