商品コード:1404-036[RCA] F.クライスラー(vn) クライスラーの芸術/クライスラー, ドビュッシー, ファリャ, ドヴォルザーク

[ 1404-036 ] Fritz Kreisler , Violon - Au Piano : Carl Lamson – L'Art De Fritz Kreisler


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商品コード: 1404-036

作品名:クライスラーの芸術/クライスラー:ベートーヴェンの主題によるロンディーノ, ドビュッシー(ハルトマン編):前奏曲集第1集~8.亜麻色の髪のおとめ, アルベニス(クライスラー編):組曲「エスパーニャ」Op.165~2.タンゴ, ファリャ((クライスラー編):歌劇「はかなき人生」~スペイン舞曲, ドビュッシー(クライスラー編):「小組曲」~小舟にて, ドヴォルザーク(クライスラー編):ジプシー歌曲集Op.55~4.我が母の教えたまいし歌 | ドヴォルザーク(クライスラー編):スラヴ舞曲第
演奏者:F.クライスラー(vn)C.ラムソン(pf)
プレス国:フランス, France
レーベル:RCA
レコード番号:430 378
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのLPのオリジナル】---黒/銀RCA Victor逆内溝, 12時方向に銀塗潰RCA丸ロゴ, 6時に▼33, 3時にMade in France by AREA(ラウンド銀文字), グルーヴガード厚手, Ⓟ1962, スタンパー/マトリクス:L3RP 1386 D1/L3RP 1387 D1, 1962年頃の製造分・AREA s.aプレス(フランスLPの最古)
ジャケット:【フランスでのLPのオリジナル】---赤・黄系写真デザイン・折返表コートペラ, 1時に〇RCA(白文字), ⓅⒸなし, ジャケット裏年号:10-62(フランスLPの最古)
トピックス:1927年3月25日前後の米国ニュージャージー州カムデンStudio 3でのSP録音, それぞれのSPにて初リリース, 米国では1959年にRadio Corporation Of Americaによりコピーライト登録され復刻LPが製作・同年米RCA Camden:CAL 518(青/黒中溝レーベル・グルーヴガード厚手盤・厚紙ジャケット入り)にて初リリース, フランスでは米国と同一内容にて1962年頃A.R.E.A. ・"Applications et réalisations électriques et acoustiques"によりマスターが製作され仏RCA:430 378(当装丁)にて初リリース, 米RCA Camdenの再版ではない独自マスターによるプレス, 英国では1959年英RCA Camden:CDN 1026でリリース

商品詳細:これは1927年に米国ニュージャージー州カムデンStudio 3で集中的にRCAに録音されたSPを復刻したLPである。当初、米RCA Camden:CAL 518という番号で1959年に発売されたLPである。フランスではおそらく米RCA Camdenからテープを供給されてフランスのプレス会社であるA.R.E.A. ・"Applications et réalisations électriques et acoustiques"が1962年に独自マスターを制作してフランスでプレスされたLPである。内容は米RCA Camden:CAL 518と全く同じ。ピアに伴奏は全てカール・ラムソン。これがクライスラーの全RCA録音ではないが、代表作を収録したLPとしてはこれが一番と思われる。日本でもRCA「赤盤」シリーズとして「クライスラー自作自演集・1910-1929」が出ているが内容はまったく異なる。フリッツ・クライスラー(1875 - 1962) はウィーン生まれの世界的ヴァイオリニスト、作曲家である。後にフランスを経てアメリカ国籍となった。ユダヤ系。本名はフリードリヒ・クライスラーだが米国籍となった時点でフリッツ・クライスラーとした。クライスラーは3歳の頃からヴァイオリンを習い始めたが、あまりにも飲み込みが早く、7歳で特例としてウィーン高等音楽院に入学してヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世に演奏を、アントン・ブルックナーに作曲を学び、10歳にして首席で卒業した。在学中、楽院を訪問したヨーゼフ・ヨアヒムらの大家の演奏を聴き、さらに感性を研ぐこととなった。その後、パリ高等音楽院に入学、12歳にして首席で卒業した。1902年にはロンドン・デビューを果たし、翌年米国デビューしている。1943年にはアメリカ国籍を取得する。以後の生涯では一度もヨーロッパに戻ることはなかった。アメリカ国籍取得の2年前には交通事故で重傷を負い、一時は「再起不能」とも伝えられたが、奇跡的にカムバックする。放送への出演やリサイタルを断続的に行うも、負傷の後遺症(視力障害や突発的な記憶喪失などで、音楽的な感覚は奇跡的に障害から逃れた)が尾を引いたこともあり、1950年に引退した。1962年、ニューヨークで心臓疾患のため死去し、ブロンクスのウッドローン墓地に埋葬された。多くの自作曲と編曲がある。復刻LPは各レーベルから数種出ている。1923年には来日を果たしていることもあり、日本での人気は高かった。

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