商品コード:1370-040n[DECCA] J.カッチェン(pf)/ ベートーヴェン:Pf協奏曲2, 4番
商品コード: 1370-040n
商品詳細:カッチェンはブラームスのPf協2枚が2000番台にあり、有名。ベートーヴェンは全5曲、SXLで全てガンバと録音があるが、中でもこの2、4番の入荷が最も少ない(過去に1回のみ)。カッチェンはガンバとの相性が良いようで、どれも演奏はDECCAらしさの出た仕上がり。ピアノは、クリスタルを思わせる硬質な光を放ち、程良い余韻を付けながら、鍵盤の上を転がる。ガンバはそんなカッチェンの呼吸と合わせ、同質の音調でサポート。最もクリアーな協奏曲が出来上がっている。ジュリアス・カッチェン(1926-1969)は米国ニュージャージー州ロング・ブランチ出身。14歳になるまで、モスクワ音楽院やワルシャワ音楽院の教師であったユダヤ系の祖父母に音楽を学ぶ。祖父も音楽理論の教授である音楽一家に育つ。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調(全3楽章/K.466)を弾いてデビュー。その演奏を聴いていたオーマンディに招かれ、ニューヨークでフィラデルフィア管弦楽団と共演する。NYタイムズはカッチェンの演奏について「11歳の少年にこれ以上望むことはできないだろう。」と賞賛した。12歳の時には、ニューヨークのタウンホールで初のリサイタルを行い、天才少年として全米で知られるようになった。1939年7月には、Lewisohn StadiumでEfrem Kurtz指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとシューマンの「ピアノ協奏曲」を演奏した。ハヴァーフォード・カレッジに進学して哲学を専攻、1946年に在籍僅か3年で首席で卒業した。米国時代はほぼ独学でピアノをマスターしている。それからパリに行き、ユネスコ国際フェスティバルにアメリカ合衆国代表として出席、フランス国立放送管弦楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲を共演した。その後はパリに永住することを決意。カッチェンはその後米国に戻らなかった。1950-60年代には欧州/英国で精力的にコンサートを行っている。弟子は殆どとらなかったが唯一の弟子と言われているのが、パスカル・ロジェで、およそ2年間カッチェンの下で学んでいる。ジャン=ピエール・マルティも実はカッチェンの弟子だったと言われている。カッチェンの技巧は素晴らしく、chrome-plated(クロムメッキ)といわれ、瞬発力とスピード感は誰も太刀打ちできないほど冴えてたといわれる。30代後期からブラームスの音楽にのめり込み、ついには1965年にDECCAに初のブラームス:ピアノ・ソロ作品全集を録音した。しかし1968年には既に肺癌に侵されていて、1969年春、僅か42歳で帰らぬ人となった。DECCAに多くの録音を残したが1940年代後期からのモノラル期に多くの素晴らしい録音が集中している。この録音はカッチェンの技巧と音楽性の見事なバランスを理解できる格好の録音である。若手指揮者のガンバ/ロンドンpo.のオケも見事であり、曲の好みはあろうともカッチェンに興味のある方には必聴の1枚といえる。バックハウス、カーゾンらとの大きな違いは彼の持つの独特ののめり込みではないかと感じる。それが技巧やスピードとなって表れるのだろう。P.ガンバ指揮ロンドンso.とベートーヴェンのPf協奏曲全5曲を録音している。
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