商品コード:1384-002[Chant du Monde] L.ヤーセク(vn)/ ドヴォルザーク:VnとPfのためのソナチネOp.100
商品コード: 1384-002
商品詳細:ドヴォルザークのヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調作品100は1893年11月19日から12月3日にかけてニューヨーク市で作曲したソナチネであり、同時にドヴォルザークが米国滞在中に書き上げた最後の室内楽曲。1894年にベルリンのジムロック社から出版された。本作は、ドヴォルザーが我が子の音楽的能力を徐々に育て上げていくために用意された。アメリカ時代の弦楽四重奏曲 第12番 『アメリカ』等に既に表れていたような、アメリカ先住民族の民謡や黒人霊歌に霊感を受けた旋律主題が使われており、なかんずくシンコペーションやペンタトニックが主題の特徴となっている。ドヴォルザークは1880年にヘ長調のヴァイオリン・ソナタOp.57を作曲している為、そこに隠れる形で演奏の機会は殆どない。フリッツ・クライスラーは、第2楽章を「インディアンの子守唄」と呼んで演奏したが、もちろんこれは作曲者の意図とは関係ないものである。日本における演奏(録音)のもっとも早い例として、1935年にわずか15歳の諏訪根自子がSPレコードでクライスラー編曲の第2楽章「インディアンの子守歌(インディアン・ラメント)」の録音をコロムビアレコードに残している。ソナチネには珍しく、4楽章制で構成されている。Vnのラディスラフ・ヤーセク・(1929 - 2023)はチェコのモジナ・ウ・ベロウナ生まれ。ベドジフ・ヴォルダンとインドジフ・フェルドにVnを師事した。1948年から1952年まで、チェコの舞台芸術アカデミーでヤロスラフ・ペケルスキーに師事した。また、ピアノをイロナ・シュテパノヴァーに師事した。卒業後はコンサート活動に専念し、1947年のプラハの春コンクール(第2位およびヤン・クーベリック賞)、1955年のパリのティボーコンクール(第5位)、1956年のロンドンのC.フレッシュコンクール(第1位)など、数々の国際コンクールに出場した。その後、ポーランド、ベルギー、ドイツ、イギリスをコンサートツアーした。ピアニストのヨゼフ・ハーラとの共演は特に意義深く、 1959年にはオーストラリア、インド、日本を、そして1962年には再び日本をツアーした。当時、彼は既にオーストラリアで3年間、ヴァイオリン教師およびヴァイオリンの名手として活動していた。オーストラリアに戻り、日本をはじめとする各国でマスタークラスを指導した。録音は多くないがSupraphonにスークのバッハ:Vn協奏曲集で第2VnとしてB.1043を録音している。他LPV 467、SUB 10021でVnリサイタル盤を出している。国際的な知名度こそ低いが、チェコを代表する実力派Vn奏者である。これはLe Chant du Mondeの求めに応じてフランスで録音した曲と思われる。Supraphonでは未発売。ソナチネの録音自体が少ない為、フランス市場における本場の録音として市場価値を見たのだろう。曲自体がスラブ色が強く、優秀だけでは説得力に欠けるからだろう。ピアノのゾラ・ロフマノーヴァもチェコ出身である。2人が織りなす演奏にはスラブ人が懐かしさを覚えるものがあったと思われる。全く知られていない超が付く珍品!
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