商品コード:1384-022[SUPRAPHON] L.ヤセク(vn) / シマノフスキ:Vn協奏曲2番Op.61, プロコフィエフ:Vn協奏曲2番Op.63
商品コード: 1384-022
商品詳細:チェコにはスーク以外にも多くのヴァイオリン奏者がいる。チェコは弦の国であり、弦楽四重奏団の数と質は他の欧州諸国を上回る。中には録音が少なく国際的に無名のままの奏者も多い。ラディスラフ・ヤセク(1929-2023)もその一人。ヤセクはわずか6歳で協奏曲デビューを果たした。18歳でプラハ音楽院に入学し、7年間在籍した。その後、コンクールで成功を収め、1956年にはカール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクールで優勝している。1959年、ヤセクはオーストラリアに移住した。チェコ音楽家たちが自国の文化と技術を南半球のオーストラリアに持ち込もうとする波が高まっていた。彼は休眠期間を経て、再設立されたばかりのアデレード大学エルダー音楽院の弦楽四重奏団の指揮者に任命された。数年後、ヤセクはカルテットを離れ、国際的なコンサート活動に精力的に取り組む。頻繁に旅行していたヤセクは、チェコスロバキアの共産主義政権のスパイとして活躍する上で有利な立場にあり、西側諸国から機密情報を持ち帰るようチェコの秘密警察から強い圧力を受けていた。1960年代末にヤセクとその家族がオーストラリアで亡命者として認められたことで彼はチェコを去る。彼らはブリスベンに定住したが、ヤセクはすぐにオークランド大学で准教授として、そしてロンドンではロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の副コンサートマスターとして活躍した。最終的にオーストラリアに帰国したヤセクは、オーストラリア・オペラのコンサートマスターとなり、その後アデレード交響楽団のコンサートマスターとなった。このような経緯からヤセクのSUPRAPHONへの録音は多くはない。スークと同等の実力を持ちながら、政治利用を受けた音楽家としてチェコ国内での立ち位置は微妙である。逆にチェコ当局に従順だったスークは国を代表する音楽家として生涯を全うした。そのような境遇のヤセクだが、スークが録音しなかった曲を数点録音している。この1枚がその代表作だろう。バッハのVn協奏曲集では2Vn協奏曲B.1043で第2Vnを担当している事からも、ヤセクの能力が理解されるはずである。この2曲はヤセクの力量を知るに良いLPである。ヤセクはニューヨークでグアダニーニのヴァイオリンを購入し、1993年に引退するまでこの楽器を演奏したという。チェコに居たらそれは出来なかっただろう。結局SUPRAPHON以外に録音はないようだが、教育者としては西側で成功したようである。この2曲に興味が有っても無くても、旧共産圏の芸術家に付きまとう政治的側面を理解するのに適した1枚である。
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