商品コード:1384-027[Concert Hall] ワルシャワPf五重奏団/ ブラームス:Pf五重奏曲Op.34
商品コード: 1384-027
商品詳細:日本では2003年2月15日に封切られたロマン・ポランスキー監督映画「戦場のピアニスト」を覚えて居られる方は多いだろう。当時日に数回「ウワディスワフ・シュピルマンのLPはあるんですか?」、「LPがあればほしい」--という電話が鳴っていたことが懐かしい。実際DISCOGSのない時代にシュピルマンのLPを探してみたが、ソロ録音は存在せず、室内楽がコンサート・ホール系に数枚、MUZAにも数枚ある事が分かった。しかしそうはタイミングよく入荷するはずもなく、1~2年後このSMS 2466を初めて目にしたとき胸が高鳴った。ソロとは異なり、ピアノ五重奏曲のピアノ・パートのみである。映画で見たイメージがそのまま出てくるわけではない。しかし、人間というものはイメージが焼き付くと、そこから必死に再現を図ろうとする動物らしい。耳を皿にしてピアノ・パートを聴きとった。ETERNAの820 356はショパンのデュオとトリオ演奏があり更に詳しくわかる。映画は1930年代の話であり、原作はノンフィクション「ある都市の死」である。その日本語訳は何とロシア・ピアニズムの著者である佐藤泰一で、春秋社で刊行され、題名は当初『ザ・ピアニスト―廃墟ワルシャワからの奇跡の生還』だったが、2003年の日本での映画公開に合わせて『戦場のピアニスト』に改題再刊された。なお息子クリストファー・シュピルマンによる続編的作品『シュピルマンの時計』(小学館、2003年)がある。モデルとなったウワディスワフ・シュピルマン(1911- 2000)は実在し、ポーランド立憲王国・ソスノヴィエツで生まれのピアニスト。幼少時からフランツ・リストの弟子であったヨセフ・ミスドヴィッチとアレクサンデル・ミハロフスキ(英語版、ポーランド語版)に師事し、ピアノを学んだ。ワルシャワのショパン音楽院でピアノを学び、20歳からベルリン音楽大学でレオニード・クロイツァーとアルトゥール・シュナーベルに師事した。1933年ワルシャワでポーランド放送のピアニストとして音楽家活動を始めた。この時代、シュピルマンはクラシック音楽の演奏活動のほか、数多くの大衆音楽を作曲し、自らも演奏した。シュピルマン一家は1940年11月から1942年7月までをワルシャワ・ゲットーで過ごすことになる。1942年8月16日、シュピルマン一家は、トレブリンカへの移送列車に乗車する。しかし、シュピルマンは乗車する際、シュピルマンを知るユダヤ人ゲットー警察によって乗車列から突き飛ばされ、トレブリンカ行きは免れた。両親、弟、妹2人はその後トレブリンカで死亡したとみられる。1944年食料を求め、隠れ家の建物内を物色しているときに、ドイツ軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉に見つかる。以降はほぼ映画のストーリーと同じらしい。戦後はポーランド放送へ復職。シュピルマンは、世界各国で演奏活動を行っており、西側諸国でも演奏活動を行っていた。音楽家として成功した。1963年ワルシャワ・ピアノ五重奏団が結成され初代メンバーとなり7~8点ほどの録音を残した。これはその中の1枚である。2005年Sony Classical から3枚組のCDが発売され内1枚が発掘されたソロ録音に当てられている。当盤の録音は1960年代中期と思われ1967年頃初リリース。音質も良く、シュピルマンを含むワルシャワ・ピアノ五重奏団の芸術が味わえる。どうしてもソロが聴きたい方はSony ClassicalのCDを購入されたい。ソロのLPは存在しない。MUZA:SX 1390でもブラームス:Pf五重奏曲Op.34の同一音源が出ている。
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