商品コード:1383-047[SUPRAPHON] A.ペドロッティ指揮 J.パネンカ(pf) / ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ, マ・メール・ロワ, ファリャ:スペインの庭の夜
商品コード: 1383-047
商品詳細:Supraphonは当時からアンチェルのようなチェコ人指揮者は自国作品のイメージアップのために国際的な「チェコ音楽の顔」として温存し、海外作品は国外の西側指揮者で--というSUPRAPHONの確固たる戦略があった。民族音楽=自前の指揮者(アンチェル、ノイマン)で固める。国際的名曲=西側で売れる外国巨匠を招いて権威付けする。この二本立ての大きな方針のもとに、フランス系作品はフランスの指揮者を招聘してチェコのオーケストラを振ってもらい、チェコのオーケストラを国外にアピールすると同時に万遍ない作品のカタログの充実を目指した。実際フランス作品を演奏できる指揮者は国内にはおらず、付け焼刃的な演奏で恥をかくより、本場の指揮者を招くことが得策であり宣伝効果もあった。数人のラテン系指揮者がチェコで録音を行ったが、この録音にはA.ペドロッティが選任された。アントニオ・ペドロッティ(1901 - 1975)は当時オーストリア帝国の一部であったチロル州の一部であったトレントに生まれた。トレントは現在イタリア共和国に属する。ローマの大学で文学を、音楽院で音楽を学んだ。1924年にオットリーノ・レスピーギのもとで作曲の勉強を終え、その後ベルナルディーノ・モリナーリに指揮法を学んだ。1938年から1944年まで、モリナーリの助手兼サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の共同監督を務めた 。また、ミラノ・スカラ座やローマ・アンジェリクム管弦楽団、ウィーン国立歌劇場とも共演し、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリやダヴィッド・オイストラフといったソリストたちとも共演した。戦後は「プラハの春」音楽祭にも度々出演し、1950年から1972年にかけて、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ交響楽団、プラハ放送交響楽団 (SOČR)、スロバキア・フィルハーモニー管弦楽団の客演指揮者を頻繁に務め、これらの楽団とは数多くの傑出した演奏と録音を行った。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とは、スイスやイギリス(ロンドン)でのコンサートを含め、40回以上共演している。特に印象派音楽と古典音楽の解釈において高く評価された。オーケストラとの協働の仕方、そしてその知性、想像力、そして構成と色彩に対する感覚は、ヴァーツラフ・ターリヒの伝統を受け継ぎ、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の発展に重要な役割を果たした。1951年からSUPRAPHONに録音を開始、1972年頃までに少なくとも10枚程度のLPを残した。個人的な好みとしてペドロッティの演奏する「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、クリュイタンスを遥かに越えて自身のトップ1である。「マ・メール・ロワ」においても同様であり、曲の持つノスタルジアをここまで完璧に表現した演奏は他に知らない。敢えて旋律美を抑え静かに淡々を展開するスタイルには日本的美学さえ感じる。恐らく誰も注目していない録音だけに興味のある方は是非お試しあれ。目立たないLPだが意外な大掘り出し物!
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