商品コード:1382-034p[PHILIPS] B.ダヴィドヴィチ(pf)/ ショパン:Pf協奏曲1番Op.11, アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズOp.22

[ 1382-034p ] Chopin , Bella Davidovich, London Symphony Orchestra, Neville Marriner


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商品コード: 1382-034p

作品名:ショパン:Pf協奏曲1番Op.11--1.Allegro Maestoso--2.Romance (Larghetto)-- | --3. Rondo (Vivace), アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズOp.22
演奏者:B.ダヴィドヴィチ(pf)N.マリナー指揮ロンドンso.
プレス国:フランス, France
レーベル:PHILIPS
レコード番号:9500 889
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---赤/銀4本線中黒, 枠内3時にMade in France, Trésors Classiques, グルーヴガード, Ⓟ1981 , スタンパー/マトリクス:AA 9500 889 1Y 6 Ⓟ1980 670 /AA 9500 667 2Y 8 Ⓟ1980 670 , 1980年頃製造分(フランス最古)
ジャケット:【フランスでのオリジナル】---見開両面ツヤ背赤, 11時の赤ベース楕円 Collection Trésors Classiques, Ⓟ1981Ⓒなし, ジャケ裏年号:なし(フランス最古)
トピックス:【初入荷の希少タイトル!】---1980年3月24-26日ロンドン・ウォルサムストウ・タウン・ホールでのステレオ録音, 録音詳細不明, オランダでは1980年N.V. Philips Phonografische Industrieによりコピーライト登録・同年PHILIPS:9500 889(赤/白3本線土手・両面コートペラ・ジャケット入り)にて初リリース, フランスでは1981年PHILIPS:9500 889(当装丁)にて初リリース, 初入荷の希少タイトル!, 演奏・音質とも第一級レベル!, マリナー/ロンドンso.とは1982年2月9・10日にピアノ協奏曲第2番Op.21と演奏会用ロンド「クラコヴィアク」Op.14も録音している, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:ベラ・ダヴィドヴィチ(1928-)は、ユリアン・シトコヴェツキーの夫人として、またディミトリー・シトコヴェツキーの母として、そしてイグムノフの高弟としてのピアニスト。ロシアでも名だたる名手であったダヴィドヴィチ。1950年にはモスクワ音楽院の教授になっていたが、1958年夫が亡くなり、息子でヴァイオリン奏者のディミトリーがアメリカのジュリアード音楽学校で学ぶために渡米している。1977年以降、ソ連側からの国外演奏許可などが制限されるようになり、特に息子が出国したことが影響して、ベラ自身の国外ツアーもキャンセルされるなどの圧力があった。ダヴィドヴィチと母と姉の3人が1978年に移民申請をし、それが認められて全員が米国に移住した。一家は1978年末、ニューヨーク州クイーンズ区に住み始めた。1982年よりニューヨークのジュリアード音楽院で教鞭を執った。米国市民権はその後取得しており、出国からだいたい6年後、1984年頃らしい。出国に際し、持ち出せる所有物の制限があり、多くの物をロシアに残してきたという。1979年カーネギーホールでのアメリカでのデビューが大きな成功となり、教育者としても活動を始め、ジュリアード音楽院での仕事がオファーされたようだ。1970年代後半、ソ連ではユダヤ系音楽家や知識人の出国許可が次第に緩和されたことで、ダヴィドヴィチは強引な亡命ではなく、ソ連文化省の許可を得て、ビザを取得して正式に米国に渡っている。「亡命」とする記事は多いが、冷戦期、ソ連の著名音楽家が西側に定住すると、西側メディアでは政治的意味合いを強調して「亡命」と報道された。しかし実際には、ダヴィドヴィチは密出国や亡命申請ではなく、公式手続きを経た合法的な移住であった。ロシアでのキャリアを捨ててニューヨークに居を構えたダヴィドヴィチ。PHILIPSと契約し新たに録音を世に出した。アメリカでは無名だった彼女が、"フランツ・リストの再来"と絶賛されたことのあるラザール・ベルマンが「私より彼女のほうがショパンは上手い」と発言して注目を集めたが、ダヴィドヴィチは、ベルマンとはキャリアが違う格上の大物である。2000年を過ぎても録音を出し続け80歳でロシアへ演奏旅行に!ダヴィドヴィチは勿論MELODIYAにも録音はあるが、渡米後のPHILIPS録音も見逃せない。これは1980年3月ロンドンへ飛んでの録音。PHILIPSの場合、契約の関係で米国内での録音ができなかった。録音時ダヴィドヴィチはまだ52歳。有り余るパワーがあり協奏曲も全く問題ない。N.マリナー指揮ロンドンso.に対し、ソロ録音よりバランスを考慮したスタイルで合わせている。ソロでは独自の世界観がパワー全開で展開するが、協奏曲では整った演奏を視野に入れたような印象を受けた。マリナーが正攻法なスタイルの指揮者なのでマリナーに合わせているのかも知れない。それでもソロパートを見れば、流石の腕前を披露しており、タッチの明快さ、立った音、濁りのない澄んだ音色等ベテランの強みを見せつける内容である。1980年録音だがそれはほぼ考慮する程の事ではない。凡庸な演奏では決してない!

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