商品コード:1380-004n[ETERNA] H.コッホ指揮ゲヴァントハウスo./ バッハ:管弦楽組曲B.1066-1069

[ 1380-004n ] Bach, Gewandhausorchester Leipzig, Helmut Koch – Ouvertüre Complete set


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商品コード: 1380-004n

作品名:バッハ:管弦楽組曲全集(全4曲)/--管弦楽組曲1番B.1066, 管弦楽組曲4番B.1069 | 管弦楽組曲2番B.1067, 管弦楽組曲3番B.1068
演奏者:H.コッホ指揮ゲヴァントハウスo. K.H.パッシン(fl)H.ケストナー(cemb)
プレス国:旧東ドイツ, Germany East
レーベル:ETERNA
レコード番号:820 511-2
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×2, バラ2枚セット, 2 single records set
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【旧東ドイツでのモノラル・オリジナル】----緑/白V字浅内溝小ロゴ×2, ▽M33, グルーヴガード厚手, スタンパー/マトリクス:0 203 1425 ☆☆0 203 1426---以降省略 Yime Code:L5 W S-T/M5 SOS, 1965年11月/1965年12月製造のマトリクスによる1965年製造分(モノラル最古), 濃緑白葉/黒内溝存在せず, 大ロゴレーベル存在せず, フラット盤存在せず
ジャケット:【旧東ドイツでのモノラル・オリジナル】---折返両面紙ペラ×2(緑/赤の色違い), ジャケ裏年号・(285)Ag 511/2/65(モノラル最古)
トピックス:1965年1月26日/2月5日ライプツィヒ・ライプツィヒ・ハイランド福音ルーテル教会スタジオ(Studio Heilandskirche, Leipzig, DDR)でのモノラル/ステレオ録音, 録音技師:Claus Strüben, プロデューサー:Dieter-Gerhardt Worm, 1965年VEB Deutsche Schallplatten Berlin. DDRによりコピーライト登録・同年モノラルがETERNA:820 511-2(当装丁)のバラ2枚で初リリース, 1966年ステレオが825 511-2(V字ステレオ・同一デザインの長ステレオ・ジャケット入り)にて初リリース(希少で高額!), これは旧東独での初年度リリース分モノラル・オリジナル!近年入荷が激減している, V字ステレオは高額で40.000+税はする, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:1965年発売のモノラル。ステレオも翌年発売されたがV字ステレオ・レーベルなので希少で高額である。このモノラルの厚い響きは、本物の持つ力強さと確信みなぎる演奏。迷いのない演奏とは、こういうことを言うのだろう。H.コッホの名は、西側ではマイナーだが、彼の残した業績は大きく、'60年代のETERNAにおけるバッハの様式を確立し、地元でバッハの何たるかを音で表現した重要な指揮者。一本筋の通ったスタイルは、今もって新鮮。モノラル期のシュトリューベン録音。ヘルムート・コッホ(1908- 1975)は西ドイツ側のヴッパータールの生まれ。ライン音楽院に進学した。1926年からフリッツ・レーマンやマックス・フィードラーらの薫陶を受けて指揮法を学んでいる。1928年にヘルマン・シェルヘンに弟子入りし、ヴィンタートゥールの音楽祭にヴァイオリン兼ヴィオラ奏者として参加したり、ケーニヒスベルクの放送局でサウンド・エンジニア等をしたりして実地的音楽経験を積んだ。1931年にシェルヘンの勧めでベルリンに移り、ベルリン・シューベルト合唱団の指揮者に就任し、当時の労働者合唱運動の指導者として活躍した。第二次世界大戦中はナチスに入党し、レコード会社や放送局のエンジニアとして働いた。1945年にDDRラジオ放送局の音楽部長に就任し、ベルリン放送交響楽団の選抜メンバーでベルリン室内管弦楽団を創設している。旧プロイセン国立図書館の楽譜を活用しながらバッハやヘンデルの復興上演に大きく貢献した。これらの団体は戦後東側の組織となり、音楽家はどちらに拠点を置くかを選ぶ必要があり、多くは西側に移動した。コッホはそのまま東ベルリンに留まることとなった。1948年にはベルリン放送合唱団、1963年にはベルリン・ジングアカデミーを結成し、これらの自ら創設した団体の首席指揮者を亡くなるまで務めた。当時東ベルリンに残ることが安定した活動基盤を意味していたのだろう。コッホは政治的に積極的なプロパガンダ芸術家ではなかったが、東独の文化政策に協力的で東独政府から重用され、国家芸術賞や教授職を与えられるなど、社会主義体制下で名誉ある地位を確立していたことが生涯東側で活動した理由だろう。東独では「バッハを民族遺産として広く普及させる」という文化政策があり、コッホの音楽的志向はこれと一致したため、最初のバッハ:管弦楽組曲や2回ものブランデンブルク協奏曲の録音が任されたのだろう。実際、1950年のバッハ没後200年記念事業にも大きく関わり、東独側の中心的存在となった。コッホのバッハ録音は特徴的であり、管弦楽組曲も初回ブランデンブルク協奏曲と同様にゆったりとした大陸的に開けた展望のような雄大な視点で音楽が展開する。大河がのんびりと流れるがごとく全てを包み込むようなスタイルは今ではあり得ないが、このスタイルこそがETERNAの初期の特徴となっていった。いまでは珍しい様式といえるが一度味わうと、これが1960年代当時の東ベルリンを感じさせる気分になる。

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