商品コード:1363-038[DECCA] M.デル・モナコ(t)/ デル・モナコ・リサイタル/ヴェルディ, ジョルダーノ 他

[ 1363-038 ] Mario Del Monaco, New Symphony Orchestra Of London, Erede – Great Tenor Arias


通常価格:¥ 7,700 (税込)

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商品コード: 1363-038

作品名:M.デル・モナコ・リサイタル/ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」~おそらく彼女は到着している(レチタティーフ)--永久に君を失えば(アリア), ジョルダーノ:歌劇「フェドーラ」~第2幕 愛さずにはいられぬこの思い, R.ザンドナーイ:歌劇「ジュリエッタとロメオ」~第3幕 いとしいジュリエッタ, プッチーニ:歌劇「蝶々婦人~第3幕 さようなら愛の家よ, マスネ:歌劇「ル・シッド」~ 第3幕 ああ!すべては終わった - おお裁きの主、父なる神よ, ビゼー:歌劇「カルメン」~第2幕 花の歌「お前が投げたこの花は」 | ヴェルディ:歌劇「エルナーニ」~第1幕 ありがとう、愛する友たちよ, マイアベーア:歌劇「アフリカの女」~第4幕 なんと心臓が鼓動していることか…おお、パラダイス, A.カタラーニ:歌劇「ラ・ワリー」~第1幕 さようなら、ふるさとの家よ, ドニゼッティ:歌劇「ランモルメーアのルチア」~第3幕: 私の先祖の墓よ(レチタティーフ)--やがてこの世に別れを告げよう(アリア)-- 第2幕: 「神に向かって羽を広げた貴女」(アリア)
演奏者:M.デル・モナコ(t)A.エレーデ指揮ロンドン・プロムスso.
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:DECCA
レコード番号:SXL 2122
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【英国でのステレオ・オリジナル・タイプ】---大デッカED1, グルーヴガード厚手, 9時にSPEED 33-1/3(表記なしが初出), 1963年頃の製造分, 3E/5E
ジャケット:【英国でのステレオ・再版】---表コートペラ, 歌詞リブレットなし, ホタテ貝/折返あり
トピックス:1956年2月10-18日ロンドン・Walthamstow Assembly Hall・でのモノラル/ステレオ録音, 録音技師: James Brown, プロデューサー:不明, 編集/カッティングマスター:Stanley Goodall, 1956年The Decca Record Company Limited. Londonによりコピーライト登録・同年DECCAからモノラル: LXT 5202(銀外溝レーベル・フラット盤・モノラルデザインホタテ貝ジャケット入り)にて初リリース, 1959年ステレオ:SXL 2122(ED1初期レーベル・グルーヴガード厚手盤・当デザイン・表コート・ホタテ貝・裏年号 R.S. 7/59/495のジャケット入り)にて初リリース, これは1963年頃製造の後期ED1レーベル(9時にSPEED 33-1/3付レーベル)が同じ頃製造の当デザイン・表コートペラ・ジャケットに入るケースでステレオ・オリジナル・タイプとした・初年度リリース分ではないがED1レーベルである

商品詳細:マリオ・デル・モナコ(1915- 1982)はイタリア・ガエータ生まれのテノール歌手(テノーレ・ドランマーティコ)。ドラマティックな役柄で高く評価された。その重厚で輝かしい声は、日本では「黄金のトランペット」と形容された。ペーザロ音楽院でにてA.メロッキに声楽を学び,1940年にミラノのプッチーニ劇場でプッチーニの『蝶々夫人』でピンカートンを歌って初舞台を踏む。1946年には、アレーナ・ディ・ヴェローナでの『アイーダ』のラダメス役で、大成功を収め、同年のサン・カルロ劇場の引っ越し公演でロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、1947年にはスカラ座、1951年にはメトロポリタン歌劇場、1957年にはウィーン国立歌劇場にデビューした。1950年に後に彼の代名詞となるヴェルディ「オテロ」を初めて歌い、1972年までに200回以上も同役を歌っている。1963年12月には自動車事故に遭遇し、その後約1年もの間休養を余儀なくされた。1970年代以降は声楽教師活動への比重を高めたが、1982年10月16日に心臓発作により67歳で没した。1950年頃DECCAと契約を結び、多くのオペラ録音に参加していた。1959年に初来日し『オテロ』(オテロ)、『カルメン』(ドン・ホセ)に出演。1961年にも来日している。20世紀の中盤を代表するイタリアのテノール歌手といわれ、1952~53年頃に名歌手としてのスタイルを確立し、1960年代に入ると声のパワーの衰えをカバーするために、余計な力を入れるようになって、声の自然な流れが妨げられたと言われる。1963年末には自動車事故によって大怪我をして、長期の入院をしてからパワーが落ちたが1970年代まで現役で活躍した。これは1956年録音でデル・モナコの黄金期に当たり、声の張りとスムースな発声が見られ、文句なしの世界のテノール歌手といえる歌唱が聴ける。しかもステレオで高音質。イタリア人指揮者アルベルト・エレーデがロンドンでの録音。オケはロンドン・ニュー・シンフォニーo.と記載があるが、これはロイヤル・アルバートホールを本拠地とするロンドン・プロムスso.(The London Proms Symphony Orchestra)のことである。BBCが出資して1905年に設立されたプロムナード・コンサート用オケである。

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