商品コード:1347-050[DGG] H.ロロフ(pf)/ メンデルスゾーン:Pf協奏曲1, 2番

[ 1347-050 ] Felix Mendelssohn-Bartholdy – Helmut Roloff, Bamberger Symphoniker, Fritz Lehmann – Konzerte Für Klavier Und Orchester Nr. 1/ Nr. 2


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商品コード: 1347-050

作品名:メンデルスゾーン:Pf協奏曲1番Op.25 | Pf協奏曲2番Op.40
演奏者:H.ロロフ(pf)F.レーマン指揮バンベルクso.
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:DGG
レコード番号:18 073 DGM
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7 : DELETEDのスタンプ
評価/ジャケット:A
キズ情報:B面3時に無音軽スレあり
レーベルタイプ:【英国でのオリジナル】---チューリップALL内溝, 山吹色□33 1/3, フラット重量, 表記されたレコード番号:DGM 18 073, Rights Society:DP, (P)なし, スタンパー/マトリクス:031419⁴ STS/031422⁵ STS (ラウンド中文字スタンパー・DGG旧タイプ), 1950年代DGGモノラル製造を示す03***で始まりレコード番号を含むドイツ型ドイツ専用マトリクス使用, 補助マトリクス(Time Code):C6 /A7, 再補助マトリクス:幅広面割レコード番号マトリクスあり・18 073 A/18 073 B, 他にVA/VTの刻印あり, カッティング担当:マトリクスのイニシャルSTSは不明, 1956年3月/1957年1月製造のスタンパーによる1957年頃製造分, 旧番号存在せず, 英国でこれより古いレーベル存在せず, 英国での最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, DGG音源の英DGG製作プレス, 工場:Heliodor Record Company Limited. London, 英国でのオリジナル, original in UK.
ジャケット:【英国でのオリジナル】---薄/濃色2色刷り共通デザイン・糸縫見開中入紙, 6時に青地で◀ Long Play Record 33 1/3▶, 表記されたジャケット番号:DGM 18 073, Price Code:なし, 背文字:なし(初期タイプ), ⓅⒸなし, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが英国では当ジャケットである), 製作:Heliodor Record Company Limited.8 Clarges St. London, 印刷:The Haycook Press Ltd. London S.E.S., 英国では薄/濃色2色刷り共通デザイン・糸縫見開中入紙の最初期分, 英国でこれより古いジャケット存在せず, 英国でのオリジナル, original in UK.
トピックス:【英国盤は初入荷!】---1952年頃ドイツ・バンベルクでのモノラル録音, 録音詳細不明, 1953年頃Deutsche Grammophon Gesellschaft mbHによりコピーライト登録・同年DGG:18 073 LPM(チューリップALLE>白LP33 1/3<レーベル・フラット盤・一色刷背青布テープ貼り・裏年号53のの旧デザインジャケット入り)にて初リリース, 英国では1957年頃英DGG:18 073 DGM(当装丁)にて初リリース, これは英国での初年度リリース分オリジナル, フランスでは1953年頃仏DGG:18 073(フランス製のチューリップTOUS浅中溝, >白LP33 1/3<レーベル・フラット盤・見開両面半ツヤペラ紙中入れジャケット)にて初リリースと思われる(未入荷)→1956年頃ドイツプレス・チューリップALLE内溝・山吹色□M33レーベル・フラット盤・フランス製厚紙ボードジャケット入りに変更と思われる, 英国盤は初入荷!

商品詳細:ヘルムート・ロロフ( 1912 – 2001)はドイツ・ギーセン生まれのピアニスト。1935年にベルリン高等音楽学校に入学し、リヒャルト・リュスラーに師事。1938年にはヴラディーミル・ボスコフスキーの個人指導を受ける。第2次世界大戦中は、「赤いオーケストラ」の呼び名で知られるレジスタンス集団のシュルツ=ボイゼン(またはハルナック)・セクトに所属して反ナチ闘争に従事し(1940~42年)、1943年に仲間とともにゲシュタポによって逮捕される。 1950年にベルリン芸術大学(1945年新設)の教員に任命され、1953年に正教授に、1970年から学長に就任。1978年4月1日に勇退し、亡くなるまでベルリンで過ごした。日本では、メンデルスゾーン作品の録音によって知られている。1950年代初頭からDGGに録音を残し、1955年頃DGGにおける'56年モーツァルト生誕200年記念録音に参加し、Pfと管楽のための五重奏曲K.452の録音がある。また同じ時期に単独録音でF.レーマン/ベルリン放送(旧名RIAS)so.とのモーツァルト:Pf協奏曲20番Op.466、BERTELSMANNにL.ルートヴィヒ/ベルリン放送(旧名RIAS)so.とのモーツァルト:Pf協奏曲27番K.595などを録音しており、モノラル期に活躍したピアニスト。今ではすっかり忘れ去られた感はあるがDGGにおいてメンデルスゾーン作品の第一人者であった。

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