[ETERNA] K.ザンデルリング指揮ベルリンso. / シベリウス:交響曲5番Op.82, 悲しいワルツOp.44, フィンランディアOp.26

[ 1303-047t ] Sibelius, Kurt Sanderling ‎– Sinfonie Nr. 5, Finlandia, Valse Triste

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商品コード: 1303-047t

作品名:シベリウス:交響曲5番Op.82--1. Tempo Molto Moderato - Allegro Moderato-- 2. Andante Mosso, Quasi Allegretto-- | --3. Allegro Molto, 悲しきワルツOp.44, 交響詩「フィンランディア」Op.26
演奏者:K.ザンデルリング指揮ベルリンso.
プレス国:旧東ドイツ, Germany East
レーベル:ETERNA
レコード番号:826 278
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【旧東ドイツでのオリジナル】---黒/銀, STEREO ○○ST33, グルーヴガード厚, Rights Society:AWA, (P)なし, スタンパー/マトリクス:826 278-1C/826 278-2B (ラウンド小文字スタンパー・ETERNA通常タイプ), ETERNA製造を示す8***で始まる専用マトリクス使用, 補助マトリクス:M72 W N/F72 W N, 再補助マトリクス:A1 G/A1 D , 再々補助マトリクス:存在するが判読不能, STO---初期マトリクス:なし/なし, 1972年12月/1972年6月製造のスタンパーによる1972年頃製造分, 旧番号・V字ステレオレーベル存在せず, 黒/銀ツヤ初期レーベル存在せず, これより古いレーベル存在せず, ED存在せず, 青レーベルは再版, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, モノラル存在せず, RIAAカーヴである, ETERNA音源のETERNA製作プレス, カッティング担当:W N --Annelene Dziengel + ノイマンのカッティングマシン VMS/SX の組合わせ, 工場:VEB Deutsche Schallplatten Potsdam-Babelsberg, auguststr.45, オリジナル, original
ジャケット:【旧東ドイツでのオリジナル】---両面ツヤペラ, 表記されたジャケット番号:826 278, Price Code:12.10 M, 背文字:あり(黒色・白背景), .ジャケ裏年号:Ag 511/01/72, (P)(C)なし, 当社入荷履歴上最古の年号/存在が確認された年号:Ag 511/01/72(当ジャケである・一致), 製作:VEB Deutsche Schallplatten Berlin. DDR, 印刷:VEB Gotha-Druck, これより古いタイプ存在せず, オリジナル, original
トピックス:1972年東ベルリン・イエスキリスト教会スタジオにてステレオ録音, 録音技師: Bernd Runge, プロデューサー:Heinz Wegner, 1973年VEB Deutsche Schallplatten Berlin DDRによりコピーライト登録・同年826 278(当装丁)にて初リリース, ザンデルリングの1970~1977年シベリウス交響曲全集録音の中の一つ, ETERNAで初の一人指揮者による全集録音, 人気が高いシリーズ, 以前から更に人気のアップした有名になった録音で大推薦!もちろん高音質録音のETERNAサウンドがタップリ楽しめる, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★★,

商品詳細:クルト・ザンデルリングは1912年東プロイセン(現ポーランド領)生まれ、母親がユダヤ人であった為1935年ナチスを逃れソ連へ亡命。ムラヴィンスキーの下で指揮者の研鑽を積む、1960年東独政府に請われ帰国。ベルリンso.と'64~7年の間ドレスデンsk.の首席を兼務した。特にETERNA最高のシベリウス全曲録音は1970~7年までかけて完成。2番は'74年の録音で論理的な構築性、細部の綿密な表情付け等、自然且つ、生命感のあるシベリウスは特に定評があった。ザンデルリングは1970-77年にシベリウス:交響曲全集録音を行った。どれも内容は良く人気の高いシリーズ!クルト・ザンデルリング(1912~2011)は東プロイセンのアリスの生まれ。ザンデルリングとしているがドイツ語ではザンダーリンが一番近い。ザンデルリンクでも誤りではない。ベルリン市立歌劇場の副指揮者となり、クレンペラー、ブレッヒ、フルトヴェングラーらに指揮法学ぶ。親がユダヤ人であった彼はドイツ国籍を剥奪され、1935年におじが在住していたソビエト連邦に亡命した。同国ではモスクワ放送交響楽団でジョルジュ・セバスティアンのアシスタントとして研鑚を積んだ。その後、1960年に東ドイツ政府に請われて帰国し、1960–1977年ベルリン交響楽団の芸術監督、首席指揮者に就任、短期間のうちにこの歴史の浅いオーケストラを同国屈指のレベルにまで鍛え上げた。1964年から1967年まではシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者も兼務した。ベルリンのポストを離れた後はフリーとなり各地を客演。2002年引退。ベルリン交響楽団はベルリン歌劇場付きのオケであるベルリン・シュターツ・カペレとは別の旧東ベルリンにあった市民オーケストラである。1925年にブリュトナー管弦楽団が改編・名称変更したオケで1952年頃ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団に名称変更された。首席指揮者はヘルマン・ヒルデブラント(在任・1952–1959)が初代で、クルト・ザンデルリング(在任・1960–1977)が2代目となり、1952年にはクルト・ザンデルリングのもとで、東ベルリンにおいて市の機関として再設立され、国際的に高い評価を得た。コンサートは主にメトロポール劇場で行われ、東ベルリンで行われるコンサートの3分の2はこのオーケストラが担当した。ドレスデンにおけるドレスデン・フィルハーモニーo.に近い存在である。演奏は北欧の指揮者とは異なるが自然体で敢えてクールな気分の表現は意識せず、知的で合理的とも言える無駄を排したシンプルな造形に力点を置いたスタイル。地味だが安定感があり暗いトーンながら繊細な表情である。

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