[La Voix De Son Maître] J.デュ・プレ(vc) D.バレンボイム指揮ニュー・フィルハーモニアo. / シューマン:Vc協奏曲Op.129, サン・サーンス:Vc協奏曲1番Op.33
商品コード: 1283-056
商品詳細:フランスでは赤白SCニッパーがオリジナル。針を落とせば、すぐさまデュプレの、髪を振り乱しチェロを抱えた姿が目に浮かぶ。同じシューマンの協奏曲とはいえ、これだけは特別と思えるような演奏だ。その寂しげな表情とは裏腹に一心不乱にチェロをかき鳴らし、切なげな心の歌を鳴らすこのチェリストの音に心を動かされない人はいないだろう。女性とは思えない太い低い音を出す。ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945 - 1987)は英国・オックスフォードで教育熱心な家庭の次女として生まれた。正式なデビューは1961年にロンドンで行われた。同年にはエルガーのチェロ協奏曲を録音し、16歳にして早くもチェロ演奏家として国際的な名声を得る。この演奏を行う際に、ストラディバリが制作した60余りのチェロの中でも指折りの銘器と言われる1713年製ストラディヴァリウス “ダヴィドフ"を贈られる。デュ・プレはその後、生涯を通してダヴィドフを用いて演奏を行い、その「予測不能さ」に悩み、且つ愛した。16歳の衝撃的なデビュー以降、イギリスの国民的な音楽祭「プロムス」にもエルガーのチェロ協奏曲の独奏者として常連のように出演。まだ少女の面影を残すデュ・プレが悲壮的なエルガーのチェロ協奏曲を弾いたことなどが切っ掛けとなり、イギリス国内で大衆的な人気を集めた。チェロ演奏家として不動の地位を確立した後、1966年末に21歳でピアノ演奏家で指揮者でもあるダニエル・バレンボイムと結婚。夫となったバレンボイムとは数々の演奏を残した。バレンボイムはデュ・プレにセルジオ・ペレッソン製作の近代的チェロを贈っている。1971年(26歳)で多発性硬化症と診断され、チェロ演奏家として事実上引退。その後の数年間はチェロの教師として後進の育成を行っていた。1975年にはエリザベス2世女王からOBE勲章を授与されている。多発性硬化症の進行により、1987年に42歳で死去した。デュ・プレの生涯は映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』にもなり、「悲劇のヒロイン」として世界中で知られることとなる。1961年から73年までの約12年間の活動期間中に残された録音の多くは、集中度の高い情熱的な演奏が特徴で、現在も名盤とされる。演奏スタイルが情熱的すぎるとの批判はデビュー前から多かったが、悲壮的な雰囲気の強いエルガーのチェロ協奏曲や、ショパン最後の楽曲となったチェロソナタなど、情緒的な色彩の強い楽曲の演奏に関しては卓越した才能を発揮した。これは1968年に夫のバレンボイムの指揮で録音された2曲。これは病気の発症から3年程前の録音であり、デュ・プレの特徴である情熱的な演奏スタイルがしっかり刻まれたLPである。英国、フランスとも高音質で楽しめるLPである。
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